トイ・ストーリー4の「あなたはまだ本当のトイ・ストーリーを知らない」に納得!

▲作品ポスター・画像 Diseny Movie公式 (C)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

こんにちは、カンサイです。
今回、映画の感想になります。TOYSTORY4のネタバレが含まれます。
今後映画を見に行く予定の方は、終盤のネタバレ含む内容に十分ご注意下さい。(長文になります)

本日公開作品見てきました、TOYSTORY3を超えるのかという心配はありましたが、TOYSTORY4は間違いなく必要なストーリーだと思います。
私の評価は良いです。TOY STORY3が一番好きな作品であることは、TOY STORY4を見ても変わりません。

当初ジョンラセターが想定していたストーリーの3分の2が変更になった(ジョンがPIXARを去り…)今回の作品は決して商業目的ではない、PIXARの挑戦と新しいアニメーション映画の新しい可能性です。

 

トイ・ストーリー3までのまとめ

 

ストーリーのおさらい

TOYSTORY1(1995年)

 

(TOYSTORY1のネタバレを含みます)

 

●あらすじ●

アンディーという男の子のおもちゃ箱の中のウッディーというカウボーイ人形は大のお気に入り。

ウッディーはアンディーと遊んでいると自分がまるで生きているような気がします。

それくらい特別なオモチャでした。
あるときに、バズライトイヤーというロボットの新しいオモチャがやってきて、自分の居場所を奪われてしまいます。
嫉妬に狂ったウッディーはバズを追放します。

ところが、バズと共にピザプラネットに置き去りにされてしまいます…

シドという悪ガキ(おもちゃ殺し)に捕まるも、ロケット花火を使い、なんとかバズを連れてアンディーの元に帰る事に成功。
ライバルである二人は友情で結ばれました。


24年前、あなたは何歳でしたか?
私は小学生でした。初めて見た時からウッディーというキャラクターの虜になりました。
オモチャなのに、一番人間味に溢れています。
時に、自分勝手で、目立ちたがり、仕切りたがり、情に厚く、誰よりも子供想いで忠誠心のあるオモチャ、それこそがウッディーです。

仲間のオモチャに「ウッディーなんか変」と毎回言われます。
TOY STORY1ではシドが悪役のようにも見えますが、ウッディーが悪になる所が面白さでもあります。

また、第1作目は、初のフルCG長編アニメーションを生み出した功績が称えられ、監督であるジョンラセターがアカデミー特別業績賞を受賞しました。

TOYSTORY2(2000年)

 

(TOYSTORY2のネタバレを含みます)

 

●あらすじ●

仲間のオモチャ、ウィージーがガレージセールに売り出されるのを阻止しようとした、
ウッディーは、玩具屋のアルに、連れ去られ、コレクションアイテムとして日本の博物館に高値で売り飛ばされそうになります。

アルの部屋で出会ったのは同じカウボーイシリーズのラウンドアップの仲間でした。
日本の博物館に行く為にはウッディーが不可欠で、プロスペクター・ジェシー・ブルズアイは長い事箱に詰められており、ウッディーが揃うのを待っていました。

ウッディーに持ち主がいることを知ったジェシーは、また倉庫に逆戻りすることを恐れます。
持ち主に捨てられたジェシーの辛い過去を知ったウッディーは、仲間を裏切れない…と日本の博物館に行くことを決意します。

そこにバズがウッディーを救いにやってきます。

バズおもちゃは子供に愛されてこそ、生きるよろこびがある。かつてそう教えてくれた奴がいたんだ。 」(名言)

バズの言葉に自分の使命を思い出したウッディーはジェシーを連れてアンディーの家に帰ります。


※TOYSTORY2の時点ではまだボーピープはいます。

このシリーズでの面白さは、オモチャの価値です。ガラスケースで飾られる事で永遠の命を得ようとするジェシーや、遊んでもらってこそ価値があると信じるアンディーのオモチャたち。この間で葛藤するウッディーの描写が面白いです。ジェシーが捨てられたように、ウィージーがガレージセールに出されたように、アンディーのオモチャでいられる事の限界を感じ始めます。(ジェシーの回想がウッディーの未来への暗示です)2の最後のシーンはアンディーが大人になったらどうする?(捨てられてしまうのかな?)

バズ「(アンディーが大人になるのが)心配か?」

ウッディー「いや、その時が来るまで楽しもう、その時が来たとしても、俺には相棒のバズがいる。無限の彼方へ共に行こう!」

バズとウッディーの友情に熱くなる作品でした。

TOYSTORY3(2010年)

 

超傑作!

TOY STORYファンならずとも泣いた至極の作品だと思っています。

 

(TOYSTORY3のネタバレを含みます)

 

●あらすじ●

アンディーは大学に行くことになり、ウッディー以外のオモチャを、屋根裏部屋に移動させようとします。ところが、ママの手違いでゴミ捨て場に。
捨てられたと思ったオモチャたちはウッディーを残し、保育園の寄付箱の中に入ります。

「あれは手違いだったんだ」とウッディーが説明しても、屋根裏部屋にも戻りたくないオモチャたちは保育園に行きたいと願います。

バズ「アンディーの為の任務は終わった。今、大事なのはみんな(アンディーのオモチャ達)でいることだ」

ウッディー「アンディーが俺たちを必要とするなら、屋根裏に行くべきだ」

一方、保育園ではロッツォというピンクのクマが保育園内を独裁状態にしていました。

仲間たちも囚われてしまいます。

ウッデイーはたまたまボニー(保育園の園児)に拾われ、そこにいたオモチャ達と遊んで貰う事でまた新しく命を吹き返しました。
保育園の現状を知り、仲間たちを救いにいくことを決意したウッディーは、無事逃げられたのも束の間、ゴミ収集場へ送り込まれてしまします。

かーーーみーーーーさーーーーまーーーーーー!!!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

焼却炉からやっとの思いで、逃げ出したオモチャたちは皆でアンディーの家に帰ります。
そして、ウッディーは最後の賭けに出ます。

書置きを見たアンディーはボニーにオモチャを譲る事を決意します。

そうして、アンディーとウッディーはお別れをし、新しい持ち主ボニーの元で新しい命を得るのでした。

アンディー「ウッディの1番すごい所は友達を見捨てないってとこ。絶対にね、何があってもそばにいてくれるんだ。」(名言)


アンディー良い奴過ぎる説。

冒頭でのオモチャ会議がありますが、残ったのは僅かなコアメンバーです。
この時点でボーピープ(羊飼いのおもちゃ)もいません。
※ウッディーにとってボーは(彼女のような)特別な存在で→TOYSTORY4のキーマンになります。

アンディーの成長と、オモチャの最期を感じる切ないストーリーでした。
ハッピーエンドではありましたが、あれ以上の終わり方はないと、大大大絶賛され幕を閉じたTOYSTORY3でした。

TOYSTORY2でアンディーのママが「気の毒だけど、どんなオモチャも永遠ではないわ」って言ってたなぁ…。
オモチャの永遠の命とは?が3では大きなテーマになりました。

持ち主がいるオモチャは主人が大人になるとその役目を終えてしまうからです。
保育園には新しい子供たちがどんどんやってきます。永遠に遊んで貰える。でも壊れてしまったらオモチャはゴミになってしまうのです。

アンディーが最後にボニーと遊ぶシーンでウッディーを肩車するのですが、それが1に出てくる子供の時に遊んだアンディーのオマージュになっており、アンディーの心の中にウッディーは永遠に生き続けるのだな。(涙)

TOYSTORY3の公開時は私は社会人で、今まで捨てたオモチャの事を思い出しました(( ;∀;))

これ書いてても泣きそうになります。

ウッディー「あばよ相棒」

オモチャの命、このテーマが4にもつながってきます。

 

トイストーリー4(2019年7月12日公開)

 

SNSでは賛否がはっきり、酷評が多い。

それだけ、このシリーズが人気があるということが分かります。

酷評な理由もよく分かります。

キャラクターの中でもウッディーが一番好きなので、酷評の内容に対して、ごもっとも!と思う意見も多いです。

酷評な人程、TOY STORY愛が強く、裏切られたように感じているのかもしれないですね。

自分が成長してまた別の視点で見た時に面白く感じられる映画でもあると思います。

子供から大人まで楽しめるって平たく言うとそこまでなんですが、自分の成長と共に見え方が変わるストーリー。

何層にもなっていて本当に名作!

あまり書くとネタバレになるので終盤に…。

余談ですが、Twitterのハッシュタグ #トイストーリー といれてつぶやくとウッディーの絵文字がつくという遊び心♪

 

新しい世代の力が集結

 

ピクサー初期を支えた、スティーブジョブズが2001年に亡くなり、

ジョンラセター、エドウィン・キャットマルも、退社・引退したPIXARは新しい世代へと受け継がれようとしています。

今回のTOY STORY4のストーリーはまさにこのPIXARともリンクしているようなそんな気がしました。

監督ジョシュ・クーリーは、今回初めてメガホンをとります。過去インクレディブルや、インサイドヘッドのストーリーのストーリーを担当していたようです。

CGも新しくなり、よりオモチャ達の表情も生き生きとしていました。PIXARも次の世代へ…

 

TOY STORY タイトルの意味

 

1作目からウッディーが大事にしてきた価値観がこれです。

「オモチャは愛されてこそ価値がある」

ウッディーの言葉で、アンディーやボニー(子供)達が遊ぶ事によってオモチャは命が吹き込まれるとずっと思っていました。

でもこの物語のタイトルはTOY STORYでオモチャの物語、つまりオモチャであるウッディーの人生と成長を描いた物語なのだとTOY STORY4を見て理解しました。

ウッディーへの命は、そもそもPIXARが吹き込んでいたわけで(笑)

 

ウッディー(オモチャ)は生きていて、オモチャたちがオモチャの宿命を背負いながらも、オモチャ人生の岐路に立たされ、迷い、成長し、友情を育んでいくストーリーだったのか!!!!!と。

オモチャは変わらないもの(成長しないもの)、だから子供の成長とともに忘れられたり、捨てられたり、次の子供や持ち主が必要だと3作品を通して頭に刷り込まれていたけど、確かに思い返せば、今まで何度となくウッディたちは成長し続けていたということです。

TOY STORY3のラストも含めストーリーに引っ張られて、オモチャは成長出来ないと思いこんでいました。

TOY STORY4を見てもらうとこの感動に共感出来るかと思います。

 

「あなたはまだ本当のトイストーリーを知らない。」にも納得がいくはずです。

是非、劇場で確かめてみてください♪

 

TOY STORY4 感想(ネタバレを含みます)

 

お待たせしました、ここから感想になりますので、まだ、ご覧になっていない方は、読むのをお勧めしません。

私が思う、TOY STORY4はウッディーの成長ストーリーです。

 

ーフォーキーの存在

いきなり、ボニーがウッディーをレギュラーオモチャにしていないという、ウッディーには耐えがたい現実描写が始まり胃痛w

(残酷やなぁと思うと同時に、自分もおもちゃとかすぐに飽きてたなと思い出した。)

この描写は、おもちゃの宿命を描いているわけです。TOY STORYの過去作でも必ず描いています。

そんな中、ゴミでつくられたオモチャのフォーキーが、ボニーの一番のお気に入りになり、今ボニーを笑顔に出来る存在です。
ボニーの為に、自分を投げうってでもフォーキーを助けようとする姿がバズを蹴落とそうとしていた1作目のウッディーとは真逆に描かれています。

また、ウッディがトイストーリーの1作目でバズに「お前はただのおもちゃなんだよ」と言っていたのが、

フォーキーには、「君はおもちゃでボニーにとって必要なんだ!」と成長しています。

「子供を笑顔にすること」それは自分が主役になる事だけじゃないと気づき、それを全うするウッディ。

自分の中の確固たる価値観や信念がこれです。

フォーキーは自分をゴミ(捨てられる存在)だと思って、オモチャであることを受け入れようとせずに逃げ出します。

自分の内なる声に向き合い、全力でフォーキーを助けようとするウッディー

ボー「どうしてそこまで(フォーキー)にこだわるの?」

ウッディー「俺にはもうこれしかないんだ(ボニーを幸せにするには)」って一言は胸がきゅーーーーーとなりました。切ない。

 

 

ーギャビーギャビーの存在

アンティークショップに、ボーのランプシェイドを見つけます。もしかしてボーに会えるかもと思ったウッディーはアンティークショップに迷い込みます。

そして、ギャビーギャビーという、自分と同じボイスボックスの入った古いオモチャと出会います。彼女はウッディーのボイスボックスを手に入れれば店主マーガレットの孫娘ハーモニーに愛されると思ってウッディーを捕まえようとします。

最終的に、子供に愛されてみたいというギャビーギャビーの純粋な気持ちに、ウッディーは自分の部品を差し出します。ここもウッディーの成長ポイントです。

彼女は「完璧じゃない自分は愛されないと思っていたけど、そうじゃなかった、もうおしまいだ」と絶望する。

そんなギャビーギャビーに対してウッディーは「子供は沢山いる。君を愛してくれる人はいる」と勇気づけます。

ここも、ウッディーの成長ポイントです。

悪役っぽく登場した彼女ですが、ロッツォ程救えない悪ではなく、ウッディも最後には子供の元へ送り届けるを世話します。

ちなみに、このエピソードですが、大半の人がギャビーギャビーが声を手に入れても、ハーモニーに振り向いてもらえないという先が読めてしまうのに、それでもねじ込みたかったストーリーなのかな~?と少し疑問にも思いました。ウッディーが自分を犠牲にしても子供の為に、オモチャの為に何か出来ないかと変化する為のストーリーだとは思うんですけどね。

アンディー → ボニーと、大事にされてきたウッディーが一度も子供に愛されたことのないギャビーギャビーに同情したことは言うまでもありません。

最後、ギャビーを拾った女の子の親の反応に納得いかないけど。迷子(拾った)おもちゃを持って帰るような教育するなよ。

ちょっと謎ですね。ギャビーが救われたことはうれしかったですが。ボイスボックスもウッディーのもとにはもう二度と返ってこないし、コレクション価値もなくなるし。

あんまり納得いくようなストーリーではなかったです。ただ、ここにもウッディーの成長が描かれているわけです。

 

 

ーボーピープの存在

キーになるのは、“迷子になったオモチャ” です。

当初は、ボーピープを探しに行くラブロマンスになるとトイファンの間でも囁かれていましたが、大幅なストーリーチェンジがあり、ボーの存在はウッディーを変化させるキーとなるのでした。

ボーに会った時点で、既にフォーキーとウッディーは迷子のオモチャになっていますが、同じくが迷子のオモチャであるボーはウッディー達とはまったく違いました。

「子供と過ごすだけがオモチャの生きる道じゃない」という価値観がボーによって新しく入ってきます。

回想シーンでRCレーサーが迷子になる描写では、迷子になったオモチャは一貫の終わりという印象しかないです。

TOY STORY3 で迷子になったロッツォもまた、家にたどり着いたら、自分と同じオモチャの代わりがいたことにショックを受け、暴君と化してしまいました。

しかし、ボーは違いました。狭い子供部屋の中にとどまらず、世界を見てみたいと、かなり広い視野で動いています。
仲間のオモチャたちとも楽しそうです。強くたくましく自立している女性の姿は今の時代を象徴しています。

 

毎回、ウッディーはおもちゃたちの為に必死になり、空回りしたり、葛藤したり、凹んだりします。

ボー「迷子なのはあなたじゃないの?」

というセリフにはっとさせられるウッディー。

最後ウッディーは、仲間たちとボニーの元へ帰るのではなく、ボーと新しい世界に飛び出していく事を選びます。
「持ち主の元にいることが正しい!」という今までのTOY STORY3までの価値観の真逆をいくSTORYが展開され、ファンからの酷評が多いんだと思います。

(じゃぁアンディーとのあの別れはなんだったんだよ。アンディーと大学行った方がウッディー幸せだったんじゃないの?ボニーのばか!)ファンの心理

ずっと凝り固まっていたウッディーが新しい一歩を踏み出す姿を私は応援したくなりました。

ボーとのお別れは、3では描かれませんでしたが、本作で回収。泣きました。

ーバズの存在

 

TOY STORY1でライバル的な存在であったバズは、TOY STORY2 では命がけでウッディーを助けに行きます。

バズ「かつて、彼は命がけで私を助けてくれた。友達であれば同じことをするまでだ。」

TOY STORY3 では焼却炉で燃えるのを待つだけの時にバズがウッディーに手を差し出すシーンは一生胸に残るシーンです。

オモチャ達の絆は深く、二人は最高の友人であり、バディーでした。

 

今回もフォーキーを一人面倒みるウッディーを心配し「代わろう」と打診します。(優しいなバズ。)
また、迷子になったウッディーを窓から飛び出し探しに行きます。

バズの登場は少ないですが、二人の内なる声っいていうのが、面白い表現でした。そもそもオモチャが内なる声でしゃべってるのに、更にその奥のオモチャの本質的な心だったり、突き動かされる何かを秘めているって表現。

なんか、毎回ちょっとお馬鹿な描写をされるバズですが、いつもウッディーと違い冷静でウッディーと違うやさしさやリーダー感を持っていると思います。

バズとのお別れは、涙なしには見られません。ちなみにバズも1→4へと成長しています。

もう“迷子のオモチャ”ではなく、彼自身が決め、選択したラストを何も言わずに受け止めたバズの愛と器に号泣。

バズ「彼女は大丈夫だ」最初の一言は、(ボーピープは一人でも生きていける)という意味にとれましたが、そうじゃなかったんですね。

ボーを振り返るウッディーに、バズが「ボニーは大丈夫だ(ぼくたちに任せてくれ)」と別れを告げます。

こんな頼もしいパートナーいるでしょうか?( ;∀;)

 

TOY STORY3の「あばよ相棒は」アンディーへ。

TOY STORY4ではバズにあばよすることになるのです(涙)

 

ウッディーは次のステージに行ったんだ。卒業したんだというところがTOY STORY4の一番の感動です。

過去作では、毎回遠くまで迷子になっても、みんなで車で帰るというのがシリーズでのお決まりのシーンでした。
確かに、今回はウッディーなしでも、ちゃんとメリーゴーラウンドまで車がたどり着けていました。

チームは成長して、ウッディーはお役御免ってわけです。

 

 

ーラスト驚きの決断とは!?

 

ボーの元に残る事にしたウッディーは、果たしてオモチャとしての役割を終えたのか?そうではなかったですね(良かった)

エンディングでは、遊園地のオモチャを子供に引き合わせたり、子供の笑顔の為に色々と作戦を練っているシーンが流れます。

例えるならば、タッキーがジャニーさんの跡継ぎとして、プレイヤーから、ディレクターに転向しジャニーズを支えていくっていう方向にシフトしましたよね。ウッディーもそんな感じです。

タッキーファンがタッキーの現役引退を悲しむみたいなニュース多かったですよね。でもタッキーは前向きに次のステージに進んだだけだし、現役を卒業しただけの事。

これと、全く同じでウッディーが持ち主の元を自分から去ってしまった為に、ウッディーロスの声が上がっているんだと推測します。

お笑い芸人の明石家さんまみたいに、時代をこえても、いつまでも変わらずに人気者であり続けて、現役でい続ける、テレビの時代が終わったと言われてもテレビに立ち続けるウッディーにはそうあって欲しい、きっとそんな姿をみんな期待していたのかな…なんて。

私はTOY STORY4のストーリーにPIXARの挑戦を感じたし、ウッディーの挑戦と、成長を感じれてとても良かったです。

この映画とともに、私自身もまた成長。

 

次回は「ピクサー流 創造するちから」(エドウィン・キャットマル著)の感想について。

こちらを読むと、またTOY STORYの違った一面が見えてくるかもしれませんよ~。

 

 

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